経済学&公共政策の授業。
中間テスト前なので、先生はテスト対策の時間に充ててくれた。
練習問題の解説をしたり、質問に答えたり・・・。
そこでトルコ人Mが手を挙げ、先生に言った。
「前回の練習問題の中で"スムージー"というのが何かわからなくて困りました」
その問題は「スターバックス」と「スムージーキング」ともう一つのコーヒーショップの商品価格についてのもので
"コーヒー"と"スムージー"が商品として登場したのだ。
先生は言った。
「留学生だとそういうことが起こるんだね。
わからなかったらいつでも僕に訊いてくれたらいいよ。
あと、問題文中に僕が織り込んでいるアメリカンジョークの意味がわからなくても、
僕のジョークの寒さを感じないだけだから気にしないように」
日本では数年前から売っているしアメリカでも見たことがあるので私は問題なかったが、
トルコには"スムージー"がまだ上陸していないのかもしれない。
こういう時って英語ができるかどうかではなくて、文化や習慣の違いで知らないことだから始末が悪い。
しかもこういう時は辞書はあまり役に立たないことが多いし・・・。
だからクラスメイトや先生の雑談の中に宝物が埋まっているような気がするのだ。